そういう訳だから基本見ないのだけど、先週のお豆腐屋さんが面白かったのでついつい最後まで見て結果モヤモヤした。今書いた面白いというのは豆腐職人ご本人のことで、番組のことではない。この乖離がモヤモヤの原因だと今日気がついた。
聞くところによると撮影に大変時間をかけ丁寧に番組を作るそうである。そこで得られる素材は膨大であろうから、どういう方針でそれを編集するのかというところが、僕とは気が合わないのであろうと思われる。
だから新人のディレクターあたりにメイキングを作らしたら、彼らのプロフェッショナルっぷりが垣間見えて、もしかしたら僕のモヤモヤも解消したりしてと思うような、思わないような。。。
なんで乖離するのか、僕はその原因のひとつに心当たりが無くもない。というか、ある。
職人という言葉の問題である。
僕は職人と呼ばれるような仕事をしているので、時々そう呼ばれるし、職人っていいですよね、とか、尊敬します、とか、憧れます、とか、とか
それを聞いて僕は何とも言えない顔をしてしまう。そう言っていただけるのは、うちの店を褒めてそう言っていただいていることが判るので、あ、うん、ありがとうございます。。と
で、その職人って素晴らしいですね、という非職人目線がプロフェッショナルの番組の根底にあるのだと思う。
まあそれが問題というよりも、この職人てやつの仕事は儲からなくてもいいよね、という認識が結構な頻度でついて回ることだ。
事実、前回の豆腐屋さんの回でも、豆を手で選別する作業を見せて、その手間のかかり具合に対して、ご本人が、儲けはいいんだよ的なことおっしゃったのを併せて流している。その気持ちは判るし、ご本人がそれでいいのも全然構わない。
だがしかし、そのお豆腐屋さんは二代目だしそれなりにご高齢でもある。色んな意味でもう減価償却は終わっているのだ。もし近所に商売を始めたばかりの若い職人がいるとして、その人から見ればそれは残業時間無制限の店主によるダンピングのようなものではないだろうか。世の中、職人を褒めそやしておきながら、その実、安くて良いものを求める。褒めておきながらその対価を払いたくないという風潮。
NHKは視聴料を求めて裁判を起こすくらいなのに、職人の口を借りて儲けははいいんだよと言わす。
何度も分けて書いているうちに最初想定していた終着点を見失い蛇行、漂流し始めたので話しをまとめる。
みんなが使う職人という言葉を、職人もそう言ってもらえて素直に嬉しいと思えるようなものになるように、番組を通して表現していただけないものかと、切に思うのですよ。無理かなぁ、無理だろうなぁ。。。
モヤモヤはつづくのである。
加えてもうひとつ。
いや実はこれが最も言いたいのかもしれない。ああいう番組で噺家を取り上げてはいけない。お気楽に見える商売はお気楽に見えたほうがいい。
以前喬太郎師匠を何かで取り上げていて、真面目な姿を見せられて、以来喬太郎を見たいとあまり思わなくなった。そういうのは死んでから見せてくれれば充分である。真面目に苦しむ噺家なんてものを人に見せようなんて野暮は止しにしてもらいてぇ。そんな今週はちょうど噺家なんだってさ。しかも好きな噺家ときてる。あっしは見ませんけどね。